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行 持  「 不唖漢 」



行 持   47 )


仏道かくのごとし
仏道声をきかざらんは
不語の不唖漢なる道理あるべからず


 ( 自らの意志で
 ( 身離れに馴れて行く
 ( これが仏道行持の中核と言えます
 ( 神仏の社 yasiro
 ( その建立の資材としてこの身を供する
 ( この身は社の木材石材となります
 ( 自分の恣意的運用を離れた時
 ( この身は新たな環境を見出すはずです
 ( 身体が木材石材となった時
 ( その身が耳にするのは暁の谿声山色
 ( 深くて温かい静寂の深奥が己を開示します
 ( A が黙すると、 B が蘇り語りはじめます



20200717SS00002.png




 
 [ 深くて温かい静寂の深奥
 [ 死の門の先にそれは実在してる
 [ パウロが述べた「 我が内なるキリスト 」
 [ これは信仰の虚構ではなく
 [ 西洋・東洋、二つの道から
 [ 証明しうる実在であると言えます
 [ と言えますが
 [ これが確信となるには
 [ 自らの意志でこの身を供する
 [ と言うリンクを押す必要があります
 [ 神々は盲目の信者を良しとせず
 [ 自らの意志を行使しうる
 [ 個々人の自由を尊重してると言えます






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プロフィール

佐々木正巳

Author:佐々木正巳
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「国際交流のための坐禅会」

(ご希望に合わせ随時開催・参加費無料)

2006 東京国立博物館(上野) にて開催
2006~2015 仙台国際センターにて毎月開催
2022 ~  仙台 国見にて随時開催



かつて馬祖 baso の会 e に参じてとふ
「 如何是仏 nyoga-zebutu 」と
馬祖いはく
「 即心是仏 sokusin-zebutu 」と
法常このことばをききて
言下大悟 gonka-taigo す




法常禅師 Ho-zyo zenzi が
馬祖 baso 禅師の坐禅道場で
静かにお坐りになられてる
傍目にそのお姿は、静止してて
水面静まりけり、死人のように見えます
その死んだ水面に、天地が語りかけます
陽光星辰は一瞬も滞らず、その歌を奏でます

法常禅師はある時
馬祖禅師にご質問なされた
「 仏とは、どのようなものですか 」

馬祖禅師が答えます
「 坐禅においては、心が仏となります 」






宮城県仙台市青葉区国見5-6-18
( 5-6-18 kunimi Aobaku Senndai )


仙台にお越しの折は
気軽にお寄り下さいませ

ご連絡先はコチラでした!
090-7325-5711



師 沼田 勇 先生 



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文章を通しての師

Rudolf Steiner 先生
Kōdō Sawaki
沢木 興道 老師 ( 曹洞宗 )










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