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行 持  「 崇 重 」


行 持   43 )


壮年にして軽爾ならんわれら
なんぞ老年の崇重なるとひとしからん
はげみて弁道行持すべきなり



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 ( 趙州従諗( Jūsin )和尚
 ( 探求の旅に出られしは
 ( 六十一歳の時です
 ( それから二十年間
 ( その身を威儀坐禅に供します
 ( その身を神仏の社 yasiro 建立の建材としました
 ( そしてこの建材は生老病死
 ( 死を免れぬものです
 ( 死の中に永遠を宿したと言えます
 ( 一方、神仏にとって死は未知なるものです
 ( それゆえその対称をなす永遠も
 ( 神仏にとっては未知なるものです
 ( この地上で、この身体の中でのみ
 ( 人も神仏も、死と永遠を経験出来ると言えます
 ( 死と永遠を融合し共に解消してゆく
 ( それが出来るのは死を担っている間
 ( すなわち生きている間だけなのです




  [  この事は
  [  禅宗が興る500年前
  [  何故
  [  キリストがイエスの身体に宿り
  [  そして十字架上で
  [  死を経験しなければなかったのか
  [  この経緯に関して、示唆を与えてくれます




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佐々木正巳

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