行 持 「 崇 重 」
- 2020/07/14
- 08:11
行 持 43 )
壮年にして軽爾ならんわれら
なんぞ老年の崇重なるとひとしからん
はげみて弁道行持すべきなり

( 趙州従諗( Jūsin )和尚
( 探求の旅に出られしは
( 六十一歳の時です
( それから二十年間
( その身を威儀坐禅に供します
( その身を神仏の社 yasiro 建立の建材としました
( そしてこの建材は生老病死
( 死を免れぬものです
( 死の中に永遠を宿したと言えます
( 一方、神仏にとって死は未知なるものです
( それゆえその対称をなす永遠も
( 神仏にとっては未知なるものです
( この地上で、この身体の中でのみ
( 人も神仏も、死と永遠を経験出来ると言えます
( 死と永遠を融合し共に解消してゆく
( それが出来るのは死を担っている間
( すなわち生きている間だけなのです
[ この事は
[ 禅宗が興る500年前
[ 何故
[ キリストがイエスの身体に宿り
[ そして十字架上で
[ 死を経験しなければなかったのか
[ この経緯に関して、示唆を与えてくれます
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