行 持 「 不参潙山道 」
- 2020/07/09
- 07:20
行 持 38 )
しるべし、一頭の水牯牛は
二十年 在潙山の行持より牧得せり
この師かつて百丈の会下に参学しきたれり
( 知ることが出来ます
( 私がいて、そして
( 一頭の水牯牛のように私の身体がある
( 私と私の身体が対峙してる
( このような関係になれたのは
( 二十年に及ぶ潙山での坐禅修行のおかげです
( 師である潙山霊祐禅師は
( その師である百丈禅師からその事を学ばれました

しづかに二十年中の消息おもひやるべし
わするる時なかれ
たとひ参潙山道する人ありとも
不参潙山道の行持はまれなるべし
( 師がなされた
( 二十年に及ぶ坐禅修行
( それは、どのようなものだったのでしょう
( 師 は
( その師である潙山禅師の物真似から始められましたが
( ついには物真似から脱し
( 私が自分の身体に向き合うと言う
( 威儀行持の道へと進まれました
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