行 持 「 みることえず 」
- 2020/07/01
- 10:41
行 持 36 )
鏡清和尚、住院のとき
土地神かつて師顔をみることえず
たよりをえざるによりてなり
( 鏡清和尚が道場におこもりになり
......その行を行われている時
......その土地の神々は鏡清和尚を
......見ることが出来ませんでした
......その理解範囲の外におられたからです

理解は出来なくても
そのお姿を見れば 「 すごいなぁ! 」
感動は湧き上がって来たと、推測されます
芸術作品や素晴らしい音楽耳にしますと
それを理解出来なくてもその感動は
実体として実感する事が出来ます
崇高なものに対した時
私達はそれを理解出来なくても
「 すごいなぁ! 」 と温かくなれます
そのような温かな感動の源を
身体の外に見る ( 持つ ) のではなくて
胸中身中に、身を正す威儀としての
「 聖十字 」 として携帯なされてる
それが祖師方の祖師方たる所以でしょうか
自分で招聘した 「 聖十字 」
自分由来であり
全くの自分を超えてる 「 聖十字 」
そして自分はいつも
「 すごいなぁ! 」 と温かくなれる
とんでもないシステム構成です
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