行 持 「 石 臼 」
- 2020/06/18
- 07:31
行 持 29 )
得法已後
なほ石臼( isiusu ) をおひありきて
米をつくこと八年なり
出世度人説法するにも
この石臼をさしおかず、希世の行持なり

六祖慧能( eno )禅師は、
弘忍禅師より正法を継がれた後も
石臼でお米をつく行を続けられた
それは八年に及び
人々の説法なされる時でも
その行を続けられた
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墨を、静かにすって
少しづつ心を鎮めて行く
心を強く優しく、おにぎりを握る
信じられない
筆ペンで書いた方が
コスパいいのでは ?
機械で握った方がいっぱい出来ません ?
一理あります
一理どころか百里千里もあるゆえ
このような智慧は忘れ去られました
墨をする、おにぎりを握る
何をするかは、意味がなくて ・・
墨をする → 神妙にすらねば
おにぎりを握る → 大事に握らねば
そう、心を運用出来る方は
墨をすってると、心が澄んでくる
おにぎりを握ってると、心がやさしくなってくる
してる事は
単なる運動 ( 筋肉活動 ) なのに
やりようによっては
心を清浄に導く、荒れた心をやさしくしてくれる
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慧能( eno )禅師が
石臼でお米をついておられる
何をしてるの、ではなく
どのように、なされていたか?
その実際を見る事が出来たら ・・・
人はこのようにも
身体を動かすことが出来るのか
強く・神妙に・やさしく・大事に
抽象的だった言葉が、
魔法のように実体として
慧能( eno )禅師の
身体の動きから湧き上がってる
そう推測されます
.