行 持 「 敬 仰 」
- 2020/06/01
- 11:40
行 持 18 )
それより後、ただ日も足らず
経行(きんひん)宴坐し住立思惟す
昼はすなわち理教を研習し
夜は乃ち静慮凝神す
三歳を綿歴するに、学は三蔵を通じ
三界の欲を断じ、三明の智を得る
時の人 敬仰して
因みに脇尊者と号す

敬意の念をもって
きょう ( 脇 ) 尊者と称されたと
現代人の目からすると
四六時中、横にならなかった
これは、「 ちょっと変な人 」 これが正常な反応かと
正法眼蔵、広くは禅一般
釈尊のレポート全般、理解不能な事、多々登場します
たとえ話と受け取る事もできますが
自己人間の核は
後ろにも前にも見渡す限り続いている
それが今生は、この身に宿りこの一生をなす
いずれ次の生では違った時代に、ちがった境遇でその生を全うする
これからもそうだし
これまでも思い出せないだけで、多くの生を経験して来た
これが確信となり常識となると
脇 尊者が横にならなかったのも
そんな不思議な事とは、思えなくなります
不生不死が常識となれば
この身と我とは、がち一体な関係ではなく
リモートワークな
少し離れた、穏やか関係になるでしょうから
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