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行 持  「 敬 仰 」



行 持   18 )


それより後、ただ日も足らず
経行(きんひん)宴坐し住立思惟す

昼はすなわち理教を研習し
夜は乃ち静慮凝神す

三歳を綿歴するに、学は三蔵を通じ
三界の欲を断じ、三明の智を得る

時の人 敬仰して
因みに脇尊者と号す



2020年06月01日01




敬意の念をもって
きょう ( 脇 ) 尊者と称されたと

現代人の目からすると
四六時中、横にならなかった
これは、「 ちょっと変な人 」 これが正常な反応かと

正法眼蔵、広くは禅一般
釈尊のレポート全般、理解不能な事、多々登場します

たとえ話と受け取る事もできますが
自己人間の核は
後ろにも前にも見渡す限り続いている

それが今生は、この身に宿りこの一生をなす
いずれ次の生では違った時代に、ちがった境遇でその生を全うする
これからもそうだし
これまでも思い出せないだけで、多くの生を経験して来た

これが確信となり常識となると
脇 尊者が横にならなかったのも
そんな不思議な事とは、思えなくなります

不生不死が常識となれば
この身と我とは、がち一体な関係ではなく
リモートワークな
少し離れた、穏やか関係になるでしょうから







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プロフィール

佐々木正巳

Author:佐々木正巳
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「国際交流のための坐禅会」

(ご希望に合わせ随時開催・参加費無料)

2006 東京国立博物館(上野) にて開催
2006~2015 仙台国際センターにて毎月開催
2022 ~  仙台 国見にて随時開催



かつて馬祖 baso の会 e に参じてとふ
「 如何是仏 nyoga-zebutu 」と
馬祖いはく
「 即心是仏 sokusin-zebutu 」と
法常このことばをききて
言下大悟 gonka-taigo す




法常禅師 Ho-zyo zenzi が
馬祖 baso 禅師の坐禅道場で
静かにお坐りになられてる
傍目にそのお姿は、静止してて
水面静まりけり、死人のように見えます
その死んだ水面に、天地が語りかけます
陽光星辰は一瞬も滞らず、その歌を奏でます

法常禅師はある時
馬祖禅師にご質問なされた
「 仏とは、どのようなものですか 」

馬祖禅師が答えます
「 坐禅においては、心が仏となります 」






宮城県仙台市青葉区国見5-6-18
( 5-6-18 kunimi Aobaku Senndai )


仙台にお越しの折は
気軽にお寄り下さいませ

ご連絡先はコチラでした!
090-7325-5711



師 沼田 勇 先生 



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文章を通しての師

Rudolf Steiner 先生
Kōdō Sawaki
沢木 興道 老師 ( 曹洞宗 )










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