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行 持  「 慈 父 」



行 持   13 )


慈父大師釈迦牟尼佛
十九歳の佛寿より、深山に行持して
三十歳の佛寿にいたりて
大地有同時成道の行持あり

八旬の佛寿にいたるまで
なほ山林に行持し
藍に行持す、王宮にかへらず
国利を領ぜず、布伽梨を衣持し
在世に一経するに互換せず
一盂在世に互換せず

一時一日も独処することなし
人天の閑供養を辞せず
外道の謗を忍辱す

おほよそ一化は行持なり
浄衣乞食の佛儀
しかしながら
行持にあらずといふことなし


2020年05月21日04




お釈迦様は、何をなされてたの?

道元禅師は
坐禅の姿、威儀を正すこと
すなわち「 行 持 」 通して
お釈迦様が何をなされていたか
それを身近に感じられた

だから、それは遠い神仏ではなく
身近な方に感じられた
慈父と言う言葉から
その関係が察せられます





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プロフィール

佐々木正巳

Author:佐々木正巳
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「国際交流のための坐禅会」

(ご希望に合わせ随時開催・参加費無料)

2006 東京国立博物館(上野) にて開催
2006~2015 仙台国際センターにて毎月開催
2022 ~  仙台 国見にて随時開催



かつて馬祖 baso の会 e に参じてとふ
「 如何是仏 nyoga-zebutu 」と
馬祖いはく
「 即心是仏 sokusin-zebutu 」と
法常このことばをききて
言下大悟 gonka-taigo す




法常禅師 Ho-zyo zenzi が
馬祖 baso 禅師の坐禅道場で
静かにお坐りになられてる
傍目にそのお姿は、静止してて
水面静まりけり、死人のように見えます
その死んだ水面に、天地が語りかけます
陽光星辰は一瞬も滞らず、その歌を奏でます

法常禅師はある時
馬祖禅師にご質問なされた
「 仏とは、どのようなものですか 」

馬祖禅師が答えます
「 坐禅においては、心が仏となります 」






宮城県仙台市青葉区国見5-6-18
( 5-6-18 kunimi Aobaku Senndai )


仙台にお越しの折は
気軽にお寄り下さいませ

ご連絡先はコチラでした!
090-7325-5711



師 沼田 勇 先生 



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文章を通しての師

Rudolf Steiner 先生
Kōdō Sawaki
沢木 興道 老師 ( 曹洞宗 )










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