光 明 「 衆無対 」
- 2020/04/26
- 08:29
光 明 23 )
しばらく雲門にとふ
なんぢなにをよんでか人人とする
なにをよんでか光明とする
雲門みづからいはく
作麼生是光明在
この問著は、疑殺話頭の光明なり
しかあれども、恁麼道著すれば
人人、光光なり ときに衆無対
たとひ百千の道得ありとも
無対を拈じて道著するなり
これ佛祖使用伝の正法眼藏涅槃妙心なり
雲門自代云、僧堂佛殿廚庫三門

光明とは
自らが自らに働きかける
その行為のことである
「 自分が自分で自分に自分する 」
そう言われても、何の事ですか?
ぽかぁ~んです ( 衆無対 )
無とか無念無想、悟りとか
???な言葉が
禅のイメージに置き換えられていった
それは13世紀に既にそうだった
それゆえに、祖師方は親切丁寧に
プレゼンされるわけですが
例えば、「 心身一如 」
と言う言葉があります
A.心と身体を一つにして事をなす
B.心と身体を一の如くする
即ち、心と身体を完全分離し
その上で、一の如くチームを編成する
A.と B.とは全く違う心身運用です
炒飯とカレーライスくらい違います
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