光 明 「 佛光をみて 」
- 2020/04/15
- 09:31
光 明 10 )
しかありといへども
韓文公なほ
佛書を見聞せざるところあり
いはゆる佛光
非青黄赤白等の道
いかにあるべしとか学しきたれる
卿もし青黄赤白をみて
佛光にあらずと
参学するちからあらば
さらに佛光をみて
青黄赤白とすることなかれ
憲宗皇帝もし佛祖ならんには
かくのごとくの宣問ありぬべし

「 自分が自分で自分を自分する 」
これは坐禅 ( 威儀 ) を要約された
澤木興道老師の言葉です
「 佛光をみて
青黄赤白とすることなかれ 」
この一文と合わせてみます
自分が自分で自分を自分してる時
威儀 ( 佛光 ) を実践してる時
よそ見 ( 青黄赤白 ) は、自動休業となります
威儀を正す事も、よそ見の一種では?
大いにそうなりえます 「 何かへんな事してる 」
実際、坐禅の中で
視聴覚の対象を求めれば
「 何かへんな事してる 」 そんな感じを受けます
頭、大丈夫ですか? みたいな
とは言え
真面目に姿勢を正す時
骨格・筋肉・呼吸
これらを外から認識するのではなく
骨格・筋肉・呼吸を
その内側から中から感じる
と言う独自な状態になります
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