光 明 「 文公無対なり 」
- 2020/04/14
- 08:58
光 明 9 )
唐憲宗皇帝は
穆宗、宣宗、兩皇帝の帝父なり
敬宗、文宗、武宗、三皇帝の祖父なり
佛舍利を拜請して
入内供養のちなみに
夜放光明あり
皇帝大絓し、早朝の群臣
みな賀表をたてまつるにいはく
陛下の聖徳聖感なり
ときに一臣あり
韓愈文公なり。字は退之といふ
かつて佛祖の席末に参学しきたれり
文公ひとり賀表せず
憲宗皇帝宣問す
群臣みな賀表をたてまつる
卿なんぞ賀表せざる
文公奏對す
微臣かつて佛書をみるにいはく
佛光は青黄赤白にあらず
いまのこれ龍神衞護の光明なり
皇帝宣問す
いかにあらんかこれ佛光なる
文公無対なり
いまこの文公
これ在家の士俗なりといへども
丈夫の志氣あり
回天転地の材といひぬべし
かくのごとく参学せん
学道の初心なり
不如是学は非道なり
たとひ講経して天花をふらすとも
いまだこの道理にいたらずは
いたづらの功夫なり
たとひ十聖三賢なりとも
文公と同口の長舌を保任せんとき
発心なり修證なり

すごいものを見たッ!
それは、龍神衞護の光明で
佛光は、青黄赤白
視聴覚の対象ではありません
では佛光とは ?
その問いに「 文公無対なり 」
文公さんは
お答えなされなかった
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