光 明 「 眼睛裏 」
- 2020/04/13
- 06:58
光 明 8 )
これ話頭光なり
此光は佛光なり
照東方は東方照なり
東方は彼此の俗論にあらず
法界の中心なり、拳頭の中央なり
東方を礙すといへども
光明の八両なり
此土に東方あり、他土に東方あり
東方に東方ある宗旨を参学すべし
万八千といふは
万は半拳頭なり半心なり
かならずしも十千にあらず
万万百万等にあらず
佛土といふは、眼睛裏なり
照東方のことばを見聞して
一條白練去を東方
ひきわたせらんがごとくに
憶想参学するは学道にあらず
尽十方界は東方のみなり
東方を盡十方界といふ
このゆえに尽十方界あるなり
尽十方界と開演する話頭
すなはち万八千佛土の聞声するなり

「 佛土といふは、眼睛裏なり 」
しゃんとする一番手は私である
と言うシンプルな提案です
どうしても見上げたり見下げたり
状況確認で一日が暮れてしまう
それで自己が充実するかと言うと
「 眼睛裏 」
外向きの意志を内へと向ける
これを心魂のみで行うと
神経衰弱になっちゃいます
外向きの意志を内へと向ける
これを骨格・筋肉・呼吸のしかた
具体的には、お辞儀し
両股関節を押さえ
押さえたまま、鳩尾を伸ばして
大腰筋から張力を引き出す
この張力に沿って吐く息を下げ
吸う息は上がる
以上をもって威儀を正す
土( 身体 )で
ささやかな仏塔建立して
社会的意味がありますか?
この発想は大いなる罠です
この身でささやか仏塔( 威儀 )
建立してる時
私達の心魂は大いに奮発します
奮発出来れば元気になる
そしてその元気があれば
何かしら社会の身近な方の
お役に立つことも可能になります
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