坐禅箴 「 しづむそこなき 」
- 2020/01/16
- 15:45
坐禅箴 36)
魚もしこの水をゆくは行なきにあらず
行はいく万程となくすすむといへども
不測なり、不窮なり
はかる岸なし、うかむ空なし
しづむそこなきがゆえに
測度するたれなし

正法眼蔵第十二巻は、「坐禅箴(Zazen Sin)」 でした
拠り所を背景とする
それを通常の「我」とするなら
すべての拠り所が消えても
いや、拠り所が消えてこそ
浮かび上がるのが
深奥にまどろむ「 自我 」でしょうか
普段は「人の四重奏」構造ゆえ
それのみ意識する能わず、なのかと
先人方が何故
「 腰腹の一点に鎮まる 」
これをなしえたのか?と問えます
この「自我」への信頼
それがあったから、と思えて来ます
初めに信頼があって
その他を消し去るに躊躇なかった
と言うより
ありゃこりゃ消し去っても
次元と言う拠り所すら消し去っても消えない
その冷静な観察から確信なされた
と推測されます
「 腰腹の一点に鎮まる 」
その実際は
拠り所をどんどん失えど消えず
その観察でしょうか
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