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坐禅箴  「 しづむそこなき 」



坐禅箴  36)


魚もしこの水をゆくは行なきにあらず
行はいく万程となくすすむといへども
不測なり、不窮なり

はかる岸なし、うかむ空なし
しづむそこなきがゆえに
測度するたれなし



2020年01月16日02





正法眼蔵第十二巻は、「坐禅箴(Zazen Sin)」 でした


拠り所を背景とする
それを通常の「我」とするなら
すべての拠り所が消えても
いや、拠り所が消えてこそ
浮かび上がるのが
深奥にまどろむ「 自我 」でしょうか

普段は「人の四重奏」構造ゆえ
それのみ意識する能わず、なのかと

先人方が何故
「 腰腹の一点に鎮まる 」
これをなしえたのか?と問えます

この「自我」への信頼
それがあったから、と思えて来ます
初めに信頼があって
その他を消し去るに躊躇なかった
と言うより
ありゃこりゃ消し去っても
次元と言う拠り所すら消し去っても消えない
その冷静な観察から確信なされた
と推測されます


「 腰腹の一点に鎮まる 」

その実際は
拠り所をどんどん失えど消えず
その観察でしょうか




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プロフィール

佐々木正巳

Author:佐々木正巳
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「国際交流のための坐禅会」

(ご希望に合わせ随時開催・参加費無料)

2006 東京国立博物館(上野) にて開催
2006~2015 仙台国際センターにて毎月開催
2022 ~  仙台 国見にて随時開催



かつて馬祖 baso の会 e に参じてとふ
「 如何是仏 nyoga-zebutu 」と
馬祖いはく
「 即心是仏 sokusin-zebutu 」と
法常このことばをききて
言下大悟 gonka-taigo す




法常禅師 Ho-zyo zenzi が
馬祖 baso 禅師の坐禅道場で
静かにお坐りになられてる
傍目にそのお姿は、静止してて
水面静まりけり、死人のように見えます
その死んだ水面に、天地が語りかけます
陽光星辰は一瞬も滞らず、その歌を奏でます

法常禅師はある時
馬祖禅師にご質問なされた
「 仏とは、どのようなものですか 」

馬祖禅師が答えます
「 坐禅においては、心が仏となります 」






宮城県仙台市青葉区国見5-6-18
( 5-6-18 kunimi Aobaku Senndai )


仙台にお越しの折は
気軽にお寄り下さいませ

ご連絡先はコチラでした!
090-7325-5711



師 沼田 勇 先生 



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文章を通しての師

Rudolf Steiner 先生
Kōdō Sawaki
沢木 興道 老師 ( 曹洞宗 )










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