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坐禅箴 「 辺際に涯岸なき 」


坐禅箴  35)

水清んで底に徹って
魚の行くこと遅々

水清といふは
空にかかれる水は
清水に不徹底なり

いはんや
器界に泓澄する
水清の水にあらず
辺際に涯岸なき
これを徹底の清水とす




2020年01月16日01






正法眼蔵第十二巻は、「坐禅箴(Zazen Sin)」 でした


透き通った水、それを見てる
それだけでも気持ちが清々します

ちょっと野暮ですが
その位置関係をimageしますと
私がいて、水面があって、清水があって
そんな位置関係でしょうか

一方、この一節で描写されてる清水は
私が清水の中にいて、お魚になってる
お魚の眼から四方を見てる
そんな位置関係でしょうか


四方が透き通ってる
美しき言葉ですが
「 辺際に涯岸なき 」これは
拠り所が無くなった感じ、に似てます


腰腹の一点に静まって行く
立体→平面→直線、そして点へ
次元が折り畳まれて行く感じ
息をはきつつこの感じを研鑽してます

帰着点の「 点 」を
どうイメージしようか?

この一節を参考にしますと
その点はすべての拠り所が消えても
なおそこに浮いてる
そんな感じでしょうか

拠り所がないのに
どうして浮いてられるの?
そう問えます

もしかして、自我が関わってるから?
もしそうなら、自我とは
すべての拠り所を失くしても
存続可能な実体なのでは?と続きます





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