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坐禅箴  「 不触事 」


坐禅箴  27)


事に触せずして知る
知はもとより覚知にあらず
覚知は小量なり
了知の知にあらず、了知は造作なり

かるがゆえに
知は不触事なり不触事は知なり
遍知の度量すべからず
自知と局量すべからず

その不触事といふは
明頭来、明頭打、暗頭来、暗頭打なり
坐破嬢生皮なり



202001111149537e7.jpg



正法眼蔵第十二巻は、「坐禅箴(Zazen Sin)」 でした


宏智禅師作 「 坐禅箴 」
対しの道元禅師の解説でした


自然科学の観察でも
「 観 察 」自体が対象に影響を及ぼしてしまう
これは大事な注意点でしょうか


無や空と言う??な言葉は使わず

「 触れない 」 という
現代でも理解可能なお言葉
お使いなさる宏智禅師

900年前のお方ですが
感覚は近現代人な感じがします





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プロフィール

佐々木正巳

Author:佐々木正巳
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「国際交流のための坐禅会」

(ご希望に合わせ随時開催・参加費無料)

2006 東京国立博物館(上野) にて開催
2006~2015 仙台国際センターにて毎月開催
2022 ~  仙台 国見にて随時開催



かつて馬祖 baso の会 e に参じてとふ
「 如何是仏 nyoga-zebutu 」と
馬祖いはく
「 即心是仏 sokusin-zebutu 」と
法常このことばをききて
言下大悟 gonka-taigo す




法常禅師 Ho-zyo zenzi が
馬祖 baso 禅師の坐禅道場で
静かにお坐りになられてる
傍目にそのお姿は、静止してて
水面静まりけり、死人のように見えます
その死んだ水面に、天地が語りかけます
陽光星辰は一瞬も滞らず、その歌を奏でます

法常禅師はある時
馬祖禅師にご質問なされた
「 仏とは、どのようなものですか 」

馬祖禅師が答えます
「 坐禅においては、心が仏となります 」






宮城県仙台市青葉区国見5-6-18
( 5-6-18 kunimi Aobaku Senndai )


仙台にお越しの折は
気軽にお寄り下さいませ

ご連絡先はコチラでした!
090-7325-5711



師 沼田 勇 先生 



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文章を通しての師

Rudolf Steiner 先生
Kōdō Sawaki
沢木 興道 老師 ( 曹洞宗 )










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