坐禅箴 23)
かつて毫忽の兆無き
其の照取ること無くして了なり
水清んで底に徹(とお)って魚の行くこと遅々
空闊(ひろ)くして涯(かぎ)りなし
鳥の飛ぶこと杳々(ようよう)なり

正法眼蔵第十二巻は 「坐禅箴(Zazen Sin)」です
表題である「坐禅箴」(宏智禅師作)
その本文ラスト一節でした
これだもんッ!です
そんな事して何か意味あるのですか?
の世界ですが ・ ・
宏智禅師の教育プログラムの帰結は
この一節、杳々悠々たるものです
一人ぽつねんと歩むしかない
と言う切なさはあれど
「 個 」の内にこのような内面世界
構築せんとするのですから
宏智禅師はおしゃれな方、楽しき方であられます
.