坐禅箴 「 触せずして知る 」
- 2020/01/07
- 11:55
坐禅箴 21)
「坐禅箴 」
勅諡宏智禅師 正覚 撰
仏々の要機、祖々の機要
事に触せずして知り
縁に対せずして照らす
事を触せずして知る
其の知自から微なり

正法眼蔵第十二巻は 「坐禅箴(Zazen Sin)」です
ここから
表題である「坐禅箴」(宏智禅師作)
その本文でした
「事に触せずして知り ・・」
文章として読みますと
なんの事やら?です
実生活に照らし合わせますと
あるある、でしょうか
if、東京の満員電車にて
隣に今女性が立たれてる
私達(男性陣)はどうするか
死んだふりしてる!でしょうか
接触してたとしても
「触れない」でしょうか
感覚を感覚に止め
「知覚」「触れる」と言う
領空侵犯は侵さずに徹する
「 縁に対せずして照らす 」
if、直感的にマズイ動物に
微妙な距離でご遭遇!
私達はどうするでしょうか
死んだふりしてる!
あなたに対し何もありません
縁に対せず
お互い関係ありませんから
その点、宜しく! って
「 事を触せずして知る
其の知自から微なり 」
痴漢行為が犯罪である
これは理解出来ます
ここで問題としてるのは
その前段階
正常な感覚(知)が一方にあり
そこから相手へ領空侵犯して
知覚しようとした時
お縄にはかかりませんが
この感覚知覚には
ドエライ問題が潜んでいる
でしょうか
感覚知覚は
私達を豊かにしてくれる?
いや[ 知覚の牢獄 ] に
繋がれる事となるまいか
感覚を感覚に止めると
それは「微なる知」だけれど
行き詰まりなき天地の荘厳
それに呼応して来る
そんな流れでしょうか
.