坐禅箴 「 六道輪廻の業相 」
- 2020/01/02
- 09:24
坐禅箴 18)
仏祖の光明に
照臨せらるるといふは
この坐禅を功夫参究するなり
おろかなるともがらは
仏光明をあやまりて
日月の光明のごとく
珠火の光燿のごとくあらんずる
とおもふ
日月の光燿はわづかにこれ
六道輪廻の業相なり
さらに仏光明に比すべからず
仏光明といふは
一句を受持聴聞し
一法を保任護持し
坐禅を単伝するなり
光明にてらさるるにおよばざれば
この保任なし、この信受なきなり

正法眼蔵第十二巻は 「坐禅箴 (Zazen Sin) 」でした
どっこいしょ!っと
ソファにお座りなさるに留まらず
行住坐臥
どっこいしょ!って
無意識に安定化しちゃう
現実は刷新新鮮を宗とするのに
身体がそうなので心魂も
何気停滞凝固化の方向へ
坐禅はそれを打破するもの
だけれども実際したら一層
停滞凝固化しちゃう
実際は本来の機能の逆となる
是が坐禅が流行らない「わけ」
でしょうか
日本史上それなりの人物も
坐禅を否定or無視なされてる
一概に知らなかった、とは言えず
坐禅は、ものにしなければ
さらなる無明に陥る危険を
多大にお持ちだから
それを回避なされた、とも推測されます
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