坐禅箴 「 殺仏の功徳 」
- 2019/12/31
- 12:58
坐禅箴 15)
南嶽いはく
汝若坐仏、即是殺仏
いはゆる
さらに坐仏を参究するに
殺仏の功徳あり
坐仏の正当恁麼時は殺仏なり
殺仏の相好光明は、たづねんとするに
かならず坐仏なるべし
殺の言、たとひ凡夫の言葉に等しくとも
ひとへに凡夫と同ずべからず
又坐仏の殺仏なるは
什麼(いか)なる形段が有る、と参究すべし
仏功徳すでに殺仏なるを拈挙して
われらが殺人・未殺人をも参究すべし

正法眼蔵第十二巻は 「坐禅箴(ざぜんしん)」でした
止まる事なき
一円(循環Rhythm)の中に
「非定相の荘厳」が自己を開示なされる
ここで大問題に遭遇する事に
どんな難事かと言うと
その方程式自体が固定概念化して
例えば、キリストに深く帰依する方
そんな方にお逢いしても
そうじゃない、「非定相の荘厳」でしょう
とやっちゃう
これは困った成行きです
ぜんぜんお洒落じゃない
では、
「非定相の荘厳」をトレースすると
そんな方にお逢いした時
どう反応するんだろう?です
この方は
キリストイエスへの帰依を通して
「非定相の荘厳」人間を超えたものと
共に生きておられる
素晴らしい方だ、そう感じるのかなと
正邪善悪好き嫌い
宗派民族国籍を一気に超越して
「非定相の荘厳」天上の音楽へと
アプローチ出来れば
むしろ異なるジャンルの方々の中に
同じ指向を見出すのかも知れません
「殺仏の相好光明」とは
坐禅の姿勢は「仏」や「禅」に
収まるようなそんなちっぽけに非ず
それらを遥かに超え出てなさる
へんなブランドにして
独占販売するものに非ず
その戒めでしょうか
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