坐禅箴 「 正嫡の児孫 」
- 2019/12/31
- 09:22
坐禅箴 13)
大寂無対なる
いたづらに蹉過すべからず
抛せん引玉あり回頭換面あり
この無対さらにざん脱すべからず
南嶽、又、しめしていはく
汝坐禅を学せば、坐仏を学すと為す
この道取を参学して
まさに祖宗の要機をはん取すべし
いはゆる学坐禅の端的
いかなりとしらざるに
学坐仏としりぬ
正嫡の児孫にあらずよりは
いかでか学坐禅の学坐仏なると道取せん
まことにしるべし
初心の坐禅は最初の坐禅なり
最初の坐禅は最初の坐仏なり
坐禅を道取するにいはく
若し坐禅を学せば、禅は坐臥に非ず
いまいふところは、坐禅は坐禅なり
坐臥にあらず
坐臥にあらずと単伝するよりこのかた
無限の坐臥は自己なり
なんぞ親疎の命脈をたづねん
いかでか迷悟を論ぜん
たれか智断をもとめん

正法眼蔵第十二巻は 「坐禅箴(ざぜんしん)」でした
福井市の「室次」
創業・天正元年(1573年)の醤油屋さん
代々お醤油を御作りになってる
様々な方が関わって来られた
当主も多士済々と察せられます
共通せしは「お醤油作り」でしょうか
仏道の「正嫡の児孫」
それは「坐禅作り」で共通してる
宗教宗派はもちろん国籍・信条すら
凌駕している
中国・日本においても
禅は一宗教宗派と言う文化的形体を
とらざるをえなかったけど
その運動を牽引した祖師方は
各個人が「坐禅作り」から
人生を切り開いて行く事をおすすめられた
一宗教宗派をつくろうなどとは
夢にも思わなかった
これが道元禅師他祖師方の
痛快なる所でしょうか
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