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坐禅箴 「 如人駕車 」


坐禅箴 10 )



南嶽曰く
人の車を駕するが如き
車若し行かずは
車を打つが即ち是か
牛を打つが即ち是か

しばらく、車若不行といふは
いかならんかこれ車行
いかならんか車不行

たとへば、水流は車行なるか
水不流は車行なるか
流は水の不行といふつべし
水の行は流にあらざるにもあるべきなり

しかあれば
車若不行の道を参究せんには
不行ありとも参ずべし
不行なしとも参ずべし

時なるべきがゆえに
若不行の道
ひとへに不行と道取せるにあらず

打車即是、打牛即是といふ
打車もあり、打牛もあるべきか
打車と打牛とひとしかるべきか
ひとしからざるべきか




2019年12月30日01





正法眼蔵第十二巻は 「坐禅箴(ざぜんしん)」でした


「 如人駕車 」
人の車に乗るが如し

電気自動車や自動運転
自動車も変わりつつある年の暮れです

一方、千年スパンで進展せず
それが人と身体の関係でしょうか

上記一節も
一体何のレポートなのか?
書き出しの「 如人駕車 」
これが常識とは違う視点立ち位置から
の描写ゆえに、その後の文章も
当然不明になってしまうのでは
そう、推測されます


頭頂・眉間・人中・鳩尾と
息をはき身体前面・任脈を下る
息をすい背中・督脈を上る
もって姿勢威儀を正す、あぁ清々する!

ひょんな巡り合わせで
こんな事をする事となりました
こんな事続けてますと
比較感覚で「姿勢が崩れてる」も
より意識されるように
タイヤがパンクしたまま
ガタゴト走ってたら変に感じる
「姿勢が崩れてる」もそれに近く感じる

自分のそれだけ見て
人のそれは見ないようしないと
精神衛生上よくないな、ですね


己を占いにかければ
この行はますます度合を増して
ゆくのでは、でしょうか
「見たり聞いたり」は無意識で
その形状や音感を我が身でトレースしてる
らしいので
人に「姿勢が崩れてる」を見れば
己も「姿勢が崩れてる」になっちゃう

人に関せず、己が車(身体)の威儀を正す

この行は加速度的に展開するのかも






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