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坐禅箴 「 非思量 」



正法眼蔵第十二 坐禅箴(ざぜんしん)

薬山弘道大師
坐次に有僧問ふ
兀々地思量什麼
師云く、箇の不思量底を思量す
僧云く、不思量底如何思量
師云く、非思量

大師の道
かくの如くなるを証して
兀坐を参学すべし、兀坐正伝すべし
兀坐の仏道に伝れる参究なり
兀々地の思量
ひとつにあらずといへども
薬山の道は其一なり
いはゆる思量箇不思量底なり
思量の皮肉骨髄なるあり
不思量の皮肉骨髄なるあり


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正法眼蔵第十二巻は 「坐禅箴(ざぜんしん)」でした

思う・思わない
この対比はすぐ忘れられて
無邪気なものです
深刻なのは「ある思い」が
生体に働きかけて
びくともしない「牢獄」を
現実に作ってしまう所でしょうか


坐禅と言う姿勢は
それ自体が一つの「思考」
であると推測されます

姿勢からある「思考」を
導く事が出来うる、何故ならば
坐禅と言う姿勢それ自体が
一つの「思考」を形成してるから

どんな思考?
それは3D思考でしょうか
3軸空間を表象して何か意味あります
そう問えます

平面(2次元)を認識出来る時
その観察者は空間(3次元)から見てる
と推測されます
空間(3次元)を認識してる時
その観察者はその次元を超え出てる
そう推測されるし
実感においてもそれは証明出来うる
そう推測されるわけです





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