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坐禅儀 「 坐する法なり 」



正法眼蔵「 坐禅儀 」  4)


坐禅のとき、
袈裟をかくべし、蒲団をしくべし
蒲団は全跏にしくにはあらず
跏趺の半ばよりはうしろにしくなり

しかあれば
累足のしたは坐蓐にあたれり
脊骨のしたは蒲団にてあるなり
これ仏々祖々の坐禅のとき坐する法なり

あるいは半跏趺坐し、あるいは結跏趺坐す
結跏趺坐は、右の足を左の腿の上におく
左の足を右の腿の上におく
足の先、おのおの腿とひとしくすべし
参差なることえざれ

半跏趺坐は
ただ左の足を右の腿の上におくのみなり




2019年12月17日01




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正法眼蔵 第十一巻「 坐禅儀 」

なにゆえ上記のような
坐法が伝わって来たのでしょう?

本日の仮説はこうです
前稿の試みのようにそれは
「 接地 」の不安定化を意図してる


例えば手足のどこかを
深く傷つけてしまったとします
一カ所がロックされただけで
身体全体が
普段のようには動けなくなります
不愉快な感じを受けます

しかしそれ故に
自由に動きたいと言う衝動
が浮かび上がって来ます
それは普段意識されない形成力
生成展開力ではないだろうかと


お話しは込み入ってます

1.適切な一部の固定化
2.→それ以外の不安定化
3.→自由が働く余地が生まれる


この仮説を逆から読むと
こうでしょうか

何故普段、自由な
生成展開力を発揮出来ないか?

それは
新規展開力は
身体の一部固定化 ( 死?) を
その親とするから

身体の一部固定化と新規展開力は
補色の関係、してるのでは





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