坐り方の工夫 56
- 2019/12/09
- 17:19
坐り方の工夫 56
腰から尻の間は
丹田の下にあり、神の城郭に属す
ゆえに、心の動く動かざるを弁ずる
また、家庭が安定するか否かも観る
腰から尻の間が正しく、豊かな者は
神が丹田の城郭に存在するに等しい
ゆえにその心が神に従い、自然と豊かになる
.................「 腰 」とは
.................水野南北居士(1760-1834)

大事なものは、大事にします
令和においては、「 スマホ 」がそれでしょうか
なくならないよう、気を使います
「 なくならないよう、気を使う 」
これが、「 城郭を構える 」 の実際でしょうか
「 腰 」とは、来られた神をお守りする城郭 : Castle
神殿城郭を建てるにふさわしき場所、と言う事でしょうか
「 神が丹田の城郭に存在するに等しい 」
神仏は見る能わずです
しかし、ごみ屋敷ですか? には
いかにも貧乏神が存在するに等しく
清潔感ある神社仏閣には
なんか神仏がおられるよう
これは、普通の感覚な気がします
キリスト教のパウロと言う方の言葉に
「 我が内なるキリスト 」と言う、有名な言葉があります
我が内なるキリスト、と
腰腹にキリストを拝する事が出来たからこそ
の、言葉でしょうか
実際その方には見えたのですか?
私には見えませんが ・・ と思考するところですが
実際はこうなのでは、
パウロと言う方は
見える見えないに関せず
ほんとうにキリストを前にした時の
心身 ( 態度 ) をなしえた、のではないか
有名人の実物に会って、テレビで見た通りだった!
って盛り上がりたいのが人情ですが、です
おられる、おられない
見える、見えない それより、その働きのみに着目するなら
「 我が内なるキリスト 」 と、キリストを拝せたパウロと言う方は
キリストの働きの中におられた、と推測されます
すごい ×一千倍 な感じで、心中が寂黙する
これって、心中身中の千魔が成仏するに等し
な感じがします
お家を建てました、次にその神棚は
何処にセッティングしようか、となります
その場所は腰腹であり
守りを担う城郭が 「 腰 」であると