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大 悟  「 自己眼晴裏 」


正法眼蔵「 大 悟 」  4)


臨済院慧照大師云く
大唐国裏、一人の不悟者をもとむるに難得なり

いま慧照大師の道取するところ
正脈しきたれる皮肉骨髄なり
不是あるべからず

大唐国裏といふは、自己眼晴裏なり
尽界にかかはれず、塵刹にとどまらず
遮裏に不悟者の一人をもとむるに、難得なり
自己の昨自己も不悟者にあらず
他己の今自己も不悟者にあらず

山人・水人の古今
もとめて不悟を要するにいまだえざるべし
学人かくのごとく、臨済の道を参学せん
虚度光陰なるべからず


2019年11月21日04



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正法眼蔵 第十巻「 大 悟 」でした


自己眼晴裏には、
一人の不悟者もおられない

これを反対側から訳すると
自己眼晴[表]の時
不悟者たる事、免れず。でしょうか

道元禅師の教育programは
すべての言説が姿(威儀)を正す事へ
帰着している、とすると

この「 自己眼晴裏 」の意味は
目は閉じてないけれど
その視線は身を正す=内を向いてる
そのお外に対する内を「裏」で表現されてる

これが本日の仮説でした。





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Author:佐々木正巳
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「国際交流のための坐禅会」

(ご希望に合わせ随時開催・参加費無料)

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2022 ~  仙台 国見にて随時開催



かつて馬祖 baso の会 e に参じてとふ
「 如何是仏 nyoga-zebutu 」と
馬祖いはく
「 即心是仏 sokusin-zebutu 」と
法常このことばをききて
言下大悟 gonka-taigo す




法常禅師 Ho-zyo zenzi が
馬祖 baso 禅師の坐禅道場で
静かにお坐りになられてる
傍目にそのお姿は、静止してて
水面静まりけり、死人のように見えます
その死んだ水面に、天地が語りかけます
陽光星辰は一瞬も滞らず、その歌を奏でます

法常禅師はある時
馬祖禅師にご質問なされた
「 仏とは、どのようなものですか 」

馬祖禅師が答えます
「 坐禅においては、心が仏となります 」






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