大 悟 「 自己眼晴裏 」
- 2019/11/22
- 11:45
正法眼蔵「 大 悟 」 4)
臨済院慧照大師云く
大唐国裏、一人の不悟者をもとむるに難得なり
いま慧照大師の道取するところ
正脈しきたれる皮肉骨髄なり
不是あるべからず
大唐国裏といふは、自己眼晴裏なり
尽界にかかはれず、塵刹にとどまらず
遮裏に不悟者の一人をもとむるに、難得なり
自己の昨自己も不悟者にあらず
他己の今自己も不悟者にあらず
山人・水人の古今
もとめて不悟を要するにいまだえざるべし
学人かくのごとく、臨済の道を参学せん
虚度光陰なるべからず

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正法眼蔵 第十巻「 大 悟 」でした
自己眼晴裏には、
一人の不悟者もおられない
これを反対側から訳すると
自己眼晴[表]の時
不悟者たる事、免れず。でしょうか
道元禅師の教育programは
すべての言説が姿(威儀)を正す事へ
帰着している、とすると
この「 自己眼晴裏 」の意味は
目は閉じてないけれど
その視線は身を正す=内を向いてる
そのお外に対する内を「裏」で表現されてる
これが本日の仮説でした。
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