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大 悟 「 多般 」


正法眼蔵「 大 悟 」  2)

しかあるに、人根に多般あり
いはく、生知
これは生じて生を透脱するなり
いはゆるは
生の初中後際に体究なり

いはく、学而知
これは学して自己を究竟す
いはゆるは
学の皮肉骨髄を体究するなり

いはく、仏知者あり
これは生知にあらず、学知にあらず自他の際を超越して
遮裏に無端なり、自他知に無拘なり

いはく、無師知者あり
善知識によらず、性によらず
経巻によらず、性によらず
相によらず、自を撥展せず
他を回互せざれども露堂々なり
これらの数般、ひとつを利と認じ
ふたつを鈍と認ぜざるなり

多般ともに
多般の功業を現成するなり

2019年11月17日01





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正法眼蔵 第十巻 「 大 悟 」でした


「 多般・多様性 」 の理解と
「 頭部は球体になってる 」は関連しているのでは?
これが本日の仮説でした



1.お辞儀して
  ガチィっと股関節を押さえる

2.その加圧を保って、鳩尾(みぞおち)を伸ばす

3.大腰筋が張り、鳩尾にTensionがかかる

4.意図的につくりし「しこり」を、真下へ垂直放下する


この姿勢の工夫は
日常ありえない良過ぎる姿勢を形成しますが
肩の上にある頭部もまた
普段とちがった「乗りごごち」?になる感じに

普段は頭にエンジンがある感じ
その姿勢の時は、タクシーに乗ったお客様気分?
御神輿に乗ったような

すると「 頭部は球体なんだ 」
が感じられる可能性、開けるような


書面もスマホのDisplayも「平面」なので
普段、目は平面仕様に傾いてる可能性も

球体の眼で、球面な全方位を
一目で観て一目で感じるってしたら
それはそれは外界は世界は、多般・多様性で一をなしてる
これが世界観ではなく、眼の前に広がる現実として広がる
と予測されますが ・・

多般・多様性= 球面なる全方位
それを一目で観ようとしたら
目がそんな見方に馴れてないので混乱しそうです

心がその混乱を回避し
その風景に何気に向き合うには
その下を支える肩から下が、しっかりしてなきゃ、と続くのかと




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