古仏心 「 古仏心脱落なり 」
- 2019/11/14
- 05:50
正法眼蔵「 古仏心 」 11 )
自己に参学せざるゆえに
崩壊(Hóe)の正当恁麼時は
一条両条、三四五条
なるがゆえに無尽条なり
かの条々
それ寧無我身なり、我身は寧無なり
而今を自惜して、我身を
古仏心ならしめざることなかれ
まことに
七仏以前に古仏心壁竪す
七仏以後に古仏心才生す
諸仏以前に古仏心華開す
諸仏以後に古仏心結果す
古仏心以前に古仏心脱落なり

------------------------------------------------------------------
正法眼蔵第九巻「 古仏心 」も、最後の一節でした
只今、「坐り方の工夫」の方は
鳩尾(みぞおち)のしこり、その垂直放下、これを検証中でした
道元禅師の「 脱落 」と
鳩尾(みぞおち)のしこり、その垂直放下は関係あるのかな ?
誰かに判断して貰いたい所ですが
「ハイっ!」 で も「イイェ!」 でも
あまり参考に、ならないような
姿(坐禅)の研究は
この身で検証、この身でReportしてこそ ・ ・
いつも上半身のしこりを放下してる
上半身のMunya・Munyaを脱落しえる
なのでいつも、なんともない
「 無事是貴人 」そう書かれし掛け軸を
めでて評する、のではなく
自分自身の心身をして
「 無事是貴人 」なる掛け軸とせん
なんともない
どちらかと言うと
能天気で穏やかで前向きっぽい
これはドエライ事哉と
身近な人がみんなそうだったら
どんなに暮らしやすい事か
.