坐り方の工夫 24
- 2019/11/04
- 11:00
坐り方の工夫 24
正法眼蔵 第九巻「 古仏心 」
その中にあります
牆壁瓦礫(ショウヘキガレキ) とは何なんだろう?
と言う自問自答でした
瓦や石ころ
それは土の塵哉!でしょうか
普段、考える事はないですが
いずれこの身と、別の道を歩む事になるは必定
若作りに注力すれど
身(土の塵)には身のスケジュール、おありでしょうから
いずれ別れざるをえずです
坐り方の工夫 この考察も
いずれ別れが必定な
この身(土の塵)との時間を大事にしよう!
これは本意たりえる、と言えます
この視点はその背景に
輪廻転生の「思想」ではなく
輪廻転生、すなわち心魂と身(土の塵)とは別物で
出会いと別れを繰り返してる
その現実の予感がないと
確固たる生き様にはならないだろう
とも推測されます
道元禅師や古仏方の
意義を正す事、坐禅の如し
これが流行らないのは
一般常識として、しんだら御終い
一回ぽっきりの人生! と言う
強い無意識の先入観があるから
そんな推測も可能でしょうか
「一回ぽっきり」感から
投げやりな無力感が香り立つとも
分析出来ます

いずれの日か
また身(土の塵)に宿る事あるかも知れないけど
それは幾百年後になる事やら ・ ・
この身(土の塵)との出会いは
永遠の中での貴重な一瞬の出会いゆえに
この身(土の塵)に対し
敬意と愛情をもって接しよう
すなわち、この身を正そう
道元禅師や古仏方は
それが実感出来えたから、そうなさった
そうなんですか ・ ・ と問いたくなります
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