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古仏心 「 蒼地蒼天 」



正法眼蔵「 古仏心 」  8 )


師いはく
牆壁瓦礫いはゆる宗旨は
牆壁瓦礫にむかひて道取する
一進あり、牆壁瓦礫なり

道出する一途あり
牆壁瓦礫の
牆壁瓦礫の許裏に
道著する一退あり

これらの道取の
現成することろの円成十成に
千仞万仞の壁立せり

蒼地蒼天の牆立あり
一片半片の瓦蓋あり
乃大乃小の礫尖あり

かくのごとくあるは
ただ心のみにあらず
すなはちこれ身なり
乃至依正なるべし

しかあれば
作麼生是牆壁瓦礫と
問取すべし道取すべし
答話せんには
古仏心と答取すべし


2019年11月03日01



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正法眼蔵第九巻は
「 古仏心 」でした


牆壁瓦礫(ショウヘキガレキ)
とは何なんだろう?

牆(土塀)壁(かべ)瓦(かわら)礫(いしころ)

瓦や石ころ
縄文の土偶や土器なら
幾千年その形を保ちけり
ではその「形」とは何なんだろう
と問えます

土器や土偶を作られた方の
造形の意図 それがその「形」の意味では
そんな推測も可能でしょうか


寿命と言う限られた時間の中で
土をこね固め仏塔建立しようか

それを仏師や芸術家に委託せずに
この身でなす、それが古仏方でしょうか


なんでそんなめんどくさい事するの?です
それは身体に対する
認識の違いからではないか


主は、土の塵で人をつくり
命の息を吹き入れられた人は
生きる者となった          [創世記]


命の息を吹き入れられた人は
生きる者となるけど
その土のお人形は、永遠を生きるとは思えない
やはり、寿命ある哉です

では、どこに永遠性があるのか、そう問えます
その仮説回答は

土の塵で人をつくり、命の息を吹き入れる行為
この積極的創造行為の中に
永遠性があるのでは


威儀を正し静かに坐する

これを(人が)見ても
そう、土の塵で人をつくり
命の息を吹き込まれた「お人形さん」
でしかありません
だから何なの?の世界です

でも、土の塵で人をつくり
命の息を吹き込んでる
本人・私にとってはその「お人形さん」も大事だけど
より尊いのは、その創造・造形行為でしょうか

すると、この仮説の帰着は
威儀坐禅は
「 本人にとってのみ尊い 」 と帰着するのか?です





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