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古仏心 「 相 似 」



正法眼蔵「 古仏心 」  5 )


雪峰いはく、趙州古仏
しるべし、趙州たとひ古仏なりとも雪峰もし
古仏の力量を分奉せられざらんは
古仏に奉勧する骨法を
了達しがたからん

いまの行履は
古仏の加被によりて
古仏に参学するには
不答話の功夫あり

いはゆる雪峰老漢、大丈夫なり
古仏の家風および古仏の威儀は
古仏にあらざるには相似ならず
一等ならざるなり

しかあれば
趙州の初中後善を参学して
古仏の寿量を参学すべし

Roman AD 134138


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正法眼蔵第九巻は、「 古仏心 」でした


古仏の威儀には
共通点があるのかな?
どうして古仏は、古仏を知りえるのか?

本日の仮説はこうでした
威儀坐禅が苦行や信仰、お仕事ではないはず
能力開発や能力競争でもないはず


主は、土の塵で人をつくり
命の息を吹き入れられた人は、生きる者となった [創世記]

それって、神話の世界の事ですか?
これが普通の感想でしょうか
2019年に威儀坐禅を研鑽するも
回顧趣味ですね、ですが
創世記のお話しは、さらに遠いお話しです

千年前さらに太古の事を、現在進行形で行う
何を行うかと言うと、「 創造行為 」 でしょうか


土の塵で人をつくり、命の息を吹きこむ
人は生きる者となった


常識で判断すると、だから何なの?ですが
これがドエライ事なんだ
これが神業なのだ、そう認識出来る
それが理解出来るところが
古仏の古仏たるところなのかな? です

人の形に息を吹き込まれ
生きる者となった者が、どのように人生を歩むか
これが普通、主眼です まさに人生でしょうか

古仏方は
息を吹き込まれてから、のお話しではなく
能動的に息を吹き込み
土の塵で生きる人を創る
って言う「人以前」の創造行為に関わってらっしゃる

人業じゃなく神業なさってる
ゆえにお名前も 「 古 仏 」 なのかなと





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