古仏心 「 古仏の在処をしる 」
- 2019/10/23
- 02:19
正法眼蔵「 古仏心 」 4 )
疎山いはく
( 疎山匡仁禅師 837―909 )
大庾嶺頭に古仏有り
放光此間に射到す
しるべし、疎山すでに
古仏と相見すといふことを
ほかに参学すべからず
古仏の有処は大庾嶺頭なり
古仏にあらざる自己は
古仏の出処をしるべからず
古仏の在処をしるは、古仏なるべし

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正法眼蔵第九巻は、「 古仏心 」でした
道元禅師の趣旨は
とてもSimpleで威儀正す事、坐禅の如し
古仏は古仏を知ってなさる
今の時代ならNet/SNS を通して
相手の幾ばくか理解出来ます
通信手段がないのに
どのようにして、古仏と言う共通を知り得るのか
それに対する答え一仮説です
1台の車は約3万品の部品で
作られてるとの事です
その一つ一つの部品はその素材形状大きさまで
正確な思考に基づいて作られてるはずです
自然と出来上がったとは考えられません
では、人の身体は、自然に出来上がって来たのか?
と言う疑問です
人の身体自体が多くの思考の塊であり
過去を語る長編大絵巻きであり
未来へ向けて執筆中の書物であるかも知れない
人の身体、数多くのparts
その背後にある設計思考
古仏方はそれを坐禅を通して
読み解かれたはずである、でした
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