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心不可得 「 いかに点ぜんとかする 」




正法眼蔵「 心不可得 」 4 )


いはゆる徳山宣鑑禅師
そのかみ金剛般若経を
あきらめたりと自称す
あるいは周金剛王と自称す
ことに青龍疏をよくせりと称ず

さらに十二担の書籍を撰集せり
斉肩の講者なきがごとし
しかあれども、文字法師の末流なり

あるとき、南方に嫡々相承の
無上仏法あることをききて
いきどほりにたへず
経書をたづさへて山川をわたりゆく
ちなみに龍潭の信禅師の会にあへり
かの会に投ぜんとおもむく中路に
歇息せり
ときに老婆子きたりあひて
路側に歇息せり

ときに鑑禅師とふ
なんぢはこれなに人ぞ
婆子いはくわれは売餅の老婆子なり

徳山いはく
わがためにもちひをうるべし
婆子いはく
和尚もちひをかうてなにかせん
徳山いはく
もちひをかうて点心にすべし
婆子いはく
和尚のそこばくたづさへてあるは
それなにものぞ
徳山いはく
なんぢきかずや
われはこれ周金剛王なり
金剛経に長ぜり
通達せずといふところなし
わがいまたづさへたるは
金剛経の解釈なり


かくいふをききて
婆子いはく、老婆に一問あり
和尚これをゆるすやいなや
徳山いはく、われいまゆるす
なんぢこころにまかせてとふべし

婆子いはく
われかつて金剛経をきくにいはく
過去心不可得、現在心不可得、未来心不可得
いまいづれの心をか
もちひをしていかに点ぜんとかする

和尚もし道得ならんには
もちひをうるべし
和尚もし道不得ならんには
もちひをうるべからず

徳山ときに茫然として
祇対すべきところおぼえざりき

婆子すなはち払袖していでぬ
つひにもちひを徳山にうらず




first half of the 17th century 0924 0639





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正法眼蔵 第八巻は、「 心不可得 」


あの美味しい味噌ラーメン、また食べたいなぁ!
と、いそいそと出かけます
さぁ箸を付け食べ始めます

美味しいィ! だけれども ・・
それは音楽が時間の中、流れ行くように
掴みどころが無いと言うか
まさに「 不可得 」な感じ

すごい美味しかったです!
て「お話し」する時はとてもリアルですが
食してるまさにその時は、流れる川の面を見るような

「 不可得 」なのに「 可得 」しようとする
食べ過ぎ、飲み過ぎ、なるわけですね、syun.






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プロフィール

佐々木正巳

Author:佐々木正巳
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「国際交流のための坐禅会」

(ご希望に合わせ随時開催・参加費無料)

2006 東京国立博物館(上野) にて開催
2006~2015 仙台国際センターにて毎月開催
2022 ~  仙台 国見にて随時開催



かつて馬祖 baso の会 e に参じてとふ
「 如何是仏 nyoga-zebutu 」と
馬祖いはく
「 即心是仏 sokusin-zebutu 」と
法常このことばをききて
言下大悟 gonka-taigo す




法常禅師 Ho-zyo zenzi が
馬祖 baso 禅師の坐禅道場で
静かにお坐りになられてる
傍目にそのお姿は、静止してて
水面静まりけり、死人のように見えます
その死んだ水面に、天地が語りかけます
陽光星辰は一瞬も滞らず、その歌を奏でます

法常禅師はある時
馬祖禅師にご質問なされた
「 仏とは、どのようなものですか 」

馬祖禅師が答えます
「 坐禅においては、心が仏となります 」






宮城県仙台市青葉区国見5-6-18
( 5-6-18 kunimi Aobaku Senndai )


仙台にお越しの折は
気軽にお寄り下さいませ

ご連絡先はコチラでした!
090-7325-5711



師 沼田 勇 先生 



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文章を通しての師

Rudolf Steiner 先生
Kōdō Sawaki
沢木 興道 老師 ( 曹洞宗 )










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