一顆の明珠 「 明珠なりける身心 」
- 2019/09/15
- 12:36
正法眼蔵「 一顆の明珠 」 43 )
しかあれども
われもなんじも
いかなるかこれ明珠
いかなるか
これ明珠にあらざると
しらざる百思百不思は
明々の草料を
むすびきたれども
玄沙の法道によりて
明珠なりける身心の
ようすをもききしり
あきらめつれば
心これわたくしにあらず
起滅をたれとしてか明珠なり
明珠にあらざると
取舎にわづらはん

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それって
どう言う事ですか?
こうであって
そうではない、とか
これは、お勉強お試験的
アプローチでしょうか
一方
画家や音楽家は
作品演奏と言う「言葉」で語りけりでしょうか
他方
玄沙師備禅師( 835~908 )
そして道元禅師は
この身の「 姿 勢 」をその表現言語になされてる
この言語は
息で創る内十字をその中心骨格にしてて
ブロンズ彫刻と言うより
時間の中に生命お持ちな 「 音楽 」 にとても近いよな
マグロさんは
その本能で泳ぎ続ける
一方この楽器(Sisei)は
神妙真面目に手にしないと、奏でてくれない
&演奏者と
その観客は同一人物の私
私以外は演奏出来ないし
私以外は聴く事が出来ない
この「 明珠 」なる楽器は
大人の楽器すぎて
手におえないなぁ~ です
とは申せ
この孤高絶対なる楽器
それをめげずに奏でてる
&他とも協調してなさる
天上の音楽とは
かくなるものか? です
がんばろかッ! ですね
.