一顆の明珠 「 湘之南 潭之北 」
- 2019/08/26
- 09:53
正法眼蔵「 一顆の明珠 」 28 )
試道するには
乳餅七枚
菜餅五枚なり
といへども
湘之南
潭之北の教行なり

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7+5 =12
天上広がりし 「 黄道十二星座 」
日は、春分の日に
どの星座より登りしか?
ほぼ、2000年かけ
隣へ移動し
ほぼ、25000年を経て
元の星座へ戻りけり
さて、
尽十方世界
これ一顆の明珠
この尽十方世界の 「 世界 」 です
外周からその内側振り返る事で
「 世界 」 は現れけり
仮に今
どの方角にあるかは
知らずとも、ある方が
土星の軌道に思いをはせてたら?
その方は
太陽系を自己の世界とせり
そんな事はありでしょうか?
日常生活では
日々の仕事の課題や
家族人間関係が
「世界」の外周になってる
その内側を振り返ってる
是が正常な
社会生活と言えるでしょうか
では
社会生活から隠遁せず
遠大なる外周を描き
深淵なる「世界」を構築
出来ないだろうか?
と言う問いが生まれます
パウロの言葉に
「 我が内なるキリスト 」 というものが
将来月旅行が実現し
宇宙空間へもし参ずれば
それは「 すごい美 」 に圧倒される事かと
この崇高なるもの
に直面した時の圧倒感
それを何千倍かした感じ
それがパウロという方が
キリストから受けた感覚ではなかったか、です
その印象は
過去の記憶である事を超え
パウロの身の内に
現実に息ずくものとして
パウロは感受しえたのでは?
それは
キリストを信仰される
そんな方の生き方ですか?
とも問えますが
キリストを固有名詞
として受け取らずに
名前の向こうにある
その印象へ近づこうとするなら
宇宙空間で
感受するであろう
厳黙してしまう
圧倒的な美に似てるのでは
パウロという方が
その身の内に
キリストを感受しえたように
圧倒的美の実在
その出会いの予感を
我が身の内に感じる事は
皮膚の内側に
キリストに、圧倒的美に
似たりしものを予感するという
そんな姿勢修練から十分可なりと
これでこそ
「 威儀を正す事、坐禅の如しに 」
は、楽しき営みになりにけり
でしょうか
.