一顆の明珠 「 山河にあらず 」
- 2019/08/05
- 05:57
正法眼蔵「 一顆の明珠 」 19 )
身今あり心今あり
といへども、明珠なり
彼此の草木にあらず
乾坤の山河にあらず
明珠なり

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俳句や短歌
広義の詩の真価は
行間にあり、でしょうか
一流ミュージシャン
その生演奏に接しますと
そこには音間 ? が
生きてるように感じ候です
言葉の意味
音楽のジャンル
その行間や音間に
永遠の空間が感受出来るよな
言葉の意味を追わず
音楽の音を聞かず
まさに禅問答的ですね
でも実際そうなので
草木にあらず
乾坤の山河にあらず
と、あらずを
指し示されるのは
教育的配慮からでしょうか
さて、
道元禅師の
教育program
その中心核心は
威儀を正すこと坐禅の如し
これで一貫されてる
思想世界観とは
一線を画しておられる
これは
永遠と呼べるような
行間・音間は
素敵な時空である一方
区切りのない
そう、何ら拠り所がない
とてもおそろしき時空との
一面もお持ちになってる
それゆえ
そこに入るには
ガツンと威儀を正し
そして、心身を断念するよな
切腹武士のような強固潔さ
それがなくんば立ち入れない
一顆の明珠
その現出と
威儀を正すこと
坐禅の如しとは
仲良き友哉、なんでしょうね
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