FC2ブログ

記事一覧

一顆の明珠  「 昼夜に弁道す 」




正法眼蔵「 一顆の明珠 」  1 )



娑婆世界大宋国
福州玄砂山院宗位置大師
法諱「師備」、俗姓者謝なり

在家のそのかみ
釣魚を愛し
舟を南台江にうかべて
もろもろの
つり人にならひけり

不釣自上の金鱗を
不待にもありけん

唐の威通のはじめ
たちまちに出塵をねがふ
舟をすてて山にいる

そのとし
三十歳になりけり

浮世の
あやうきをさとり
仏道の高貴をしりぬ

つひに
雪峰山にのぼりて
真覚大師に参じて
昼夜に弁道す


2019年07月09日01


------------------------------------------------------------------




正法眼蔵 第七巻は
「 一顆の明珠 」でした


玄沙師備禅師(835~908)
の言葉、「 一顆の明珠 」


家庭や職場でも
どんな出会いでも
基本、一顆の明珠な
確固しっかり、やさしく明るい

そんな存在で
ありたいものです


とは言え
いつも何かに追われて
やさしくなれない
それって余裕がないから?
でしょうか

以前、お客様から
ささきはん!
そんな下品言葉使ったら
あきまへんでェ!

これは
ほんとその通りで
言葉に品なきは
余裕なき故なりですね


品や余裕など
競争社会では意味なき哉
とも言えますが

実際は
どうなんでしょう?
ですね





.

コメント

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

佐々木正巳

Author:佐々木正巳
-----------------------------------


「国際交流のための坐禅会」

(ご希望に合わせ随時開催・参加費無料)

2006 東京国立博物館(上野) にて開催
2006~2015 仙台国際センターにて毎月開催
2022 ~  仙台 国見にて随時開催



かつて馬祖 baso の会 e に参じてとふ
「 如何是仏 nyoga-zebutu 」と
馬祖いはく
「 即心是仏 sokusin-zebutu 」と
法常このことばをききて
言下大悟 gonka-taigo す




法常禅師 Ho-zyo zenzi が
馬祖 baso 禅師の坐禅道場で
静かにお坐りになられてる
傍目にそのお姿は、静止してて
水面静まりけり、死人のように見えます
その死んだ水面に、天地が語りかけます
陽光星辰は一瞬も滞らず、その歌を奏でます

法常禅師はある時
馬祖禅師にご質問なされた
「 仏とは、どのようなものですか 」

馬祖禅師が答えます
「 坐禅においては、心が仏となります 」






宮城県仙台市青葉区国見5-6-18
( 5-6-18 kunimi Aobaku Senndai )


仙台にお越しの折は
気軽にお寄り下さいませ

ご連絡先はコチラでした!
090-7325-5711



師 沼田 勇 先生 



----------------------------------

文章を通しての師

Rudolf Steiner 先生
Kōdō Sawaki
沢木 興道 老師 ( 曹洞宗 )










.

最新記事

カテゴリ