行佛威儀 「 法ほとけをとく 」
- 2019/07/07
- 07:08
正法眼蔵「 行佛威儀 」 96 )
いはゆる
ほとけ法をとく事は
きくところ
なりといへども
法ほとけをとくことは
いくかさなりの
不知をかわづらひこし

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なんて
美しいんだろうォ!
何気ない
四季のうつろい
その中に驚きと感動
それを感得出来る方は
幸いなりッ! でしょうか
死に死にて
世界の春は蘇り
この歌は
仏教・禅の道歌
と言うよりか
キリストへの帰依を通し
世界を再発見なされる
西洋の方が歌いしもののよう
でもあります
十字架上で
死を積極的に
受け入れられた
死を積極的行為とされた
死を行為とし
死を乗り越えた
死と再生の機序は
坐禅においても
同じ機序となってる?
でしょうか
一般的な自殺は
どう考えても
自他を不幸たらしめる
でしょうか
一方、
坐禅十字架上の
断念はほぼ自殺に似たり
ですが
その後の展開は
天地懸隔になる事かと
己が鎮まれば
そこで眼ひらけば
世界は
圧倒的美に満ち溢れてる
イエスに
宿りしキリストが
その見本を示された
安心なされて
十字架にかかれよ
シュタイナー先生
学びし方は
そう述べられるかも
ですね
あの世?で
死を経験するのでなく
この身体にいる間に
積極的行為として
十字架をキリストを経験し
死を踏破してゆく
身体は消滅免れず
なれど
心魂は不生不滅なれば
死の踏破は
いずれ直面せざるをえず
問答無用の課題でしょうか
.