行佛威儀 「 量を超越 」
- 2019/06/09
- 12:18
正法眼蔵「 行佛威儀 」 76 )
これらの量に
量ぜられざれば
すなはち三世諸佛
在火焔裏、転大法輪なり
すでに
三世諸佛といふ
これ量を超越せるなり

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頭スッキリィ!
&
草花や雲の中に
大きな感動を見出せる
軽くて↑深い
そんな感受性持った
人がいいですね
この
新鮮な軽さって
簡単には得る事能わず
なのかも知れません
がっかり、とか
むなしさ、とか
そのさらに先へ進むと・・
と申しますか
普通その先へは
進めないかも?ですね
気を静める
と言うと健康的ですが
その実際は
がっかり、とか
むなしさ、とか
そのさらに先へ進むと
虚無の深淵?へ入ってく
ような
その恐ろしさ?
があるんで
「 量 hakaru 」を超越するは
真の軽さを得るは、稀なり
でしょうか
舌を
歯ぐきに付け
しっかり鼻呼吸
身は前後.左右.上下と
きれいに十字をとるよう
威儀を正す
変わった事
なされてますね?
な、お話しですが
そんな
真摯な心身で
十字ベクトルへ
はく息を
求心的に合わせれば
気の静まりをも超えて
むなしさすら
むなしく消えゆく
な展開でしょうか
こう↑
ですから
威儀なる正十字
が最後に残るッ!て
段取りしてないと
それこそ
虚無の中で我を見失う
草花や雲の中に
大きな感動を見出せる
軽くて深い
そんな感受性
これ↑と
行佛威儀、坐禅の如し
これ↑は
仲良き友哉ッ!
なんでしょうね
.