行佛威儀 「 転大法輪 」
- 2019/06/03
- 03:54
正法眼蔵「 行佛威儀 」 69 )
しかあるに
三位の古佛おなじく
三世諸佛を道得するに
かくのごとくの道あり
しばらく雪峰のいふ
三世諸佛 在火焔裏、転大法輪といふ
この道理ならふべし

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身中に十字
な補助線を仮定して
それにはく息が寄り添う
粘り強く
続けて行くと
こわい時、青くなり
恥ずかしい時、赤くなる
みたいに
その感情が血行へ
影響及ぼすまでになる
のかな? ですね
はく息が
身中の十字
な補助線に寄り添い
求心的な軌道を描く
これって
静まるとも
無に帰する
とも言える感じかな
ですね
禅語に「 無 」
が頻繁に登場する由縁
なのかも? でしょうか
一方で
この中心回帰は
生理的には
元気な静脈運行は
すごいなぁ!
と言う
温かき感情伴う
「 供儀 」の如し
なのかも? ですね
お花やお菓子
それを神前に供える
って言う
「 供 sonaeru 」じゃなくて
すごいなぁ!
と言う温かき感情が
十字の中心へと
差し出されるような
でしょうか
静まる無に帰する
そんなはく息と
血行が織りなす
中心回帰は
一見虚無だけど
その中心消滅点は
すごいなぁ!
と言う温かき感情
そのやりとりになってる
「 在火焔裏 」
気を静める事
無に帰するが如し
が一面で
裏面一面は
すごいなァ!な
感情の発露
「 火焔 」の如し
てなってる
でも
自分にはそんな
すごいなァ!な感情
出て来ないんですけど?
これはありですね
冷たい合理主義
唯物論が究極まで
進んだこの時代では
すごいなァ!な
感情の供儀は
絵に書いた御餅
空理空論
through なお話し
になっちゃうのは
致し方なしでしょうか
自然宇宙を
今も創造せしめしは
すごいなァ!な
感情の供儀による
びゃか!
なんじゃない?
ばなしですが、
それはあっかも?
でしょうか
自然宇宙の創造
はともかく私達に
すごいなァ!な
感情の供儀が枯渇すれば
この身体の健全な
建立はおぼつかなくなる
お仕事でも
担当者がかわり
冷たい対応に変われば
いずれお客様は離れてく
身近な機序なんかも?
ですね
.