行佛威儀 「 知有不知有 」
- 2019/06/03
- 01:51
正法眼蔵「 行佛威儀 」 68 )
いま
行佛を
たづぬるに
すなはち三世諸佛なり
たとひ知有
なりといへども
たとひ不知有
なりといへども
かならず
三世諸佛なる行佛なり

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聞いて
理解して
そして悟る
安心を得る、やッたぁ!
この↑ような
軌跡は描かずに
「 行 」 okonau とこが
「 行佛 」 の核心かなと
坐禅の中から
見直してみると・・
これ↑って
超 Analog な技術で
宗教以前のお話しィ!
な感じでしょうか
身中に
十字を切って
姿勢を正す、威儀を正す
種も
仕掛けもなくて
それだけェ! になってる
では
儀礼や芸能
武道やスポーツの
威儀を正す、と同じでは?
と言う問いになります
只坐ってる
わけですが
手組みが独特である
手を法界定印に収めてる
これで坐禅らしくなる ?
でしょうか
何故、そうしてるのか?
学術的知見はともかく
そう 「 行 」 okonau と
息の出入りと
血流の出入りが
共鳴しやすくなるのでは?
との推測も出来ます
息をはく時
気が身体中心へと
静まって行くような
これは↑
心理的風景に止まらず
具体的生理現象にも
反映されて
気の静まりは
静脈の健全運行として
現実対応物を有してる
息を吸う時
動脈が活気づき
怏怏たる気分が現じる
心理的体験が
呼吸と血流と言う
現実的対応物に裏打ちされてる
なので
正確真摯に
威儀を正せば
500年前1000千年前の方と
同じであろう体験を持てる
でしょうか
ところで
息をはく時
気が身体中心へと
静まって行くような
この感じですが
「 供儀 」 に似たり哉
な感じもしますね
.