行佛威儀 「 鞋裏の動指なり 」
- 2019/05/06
- 06:22
正法眼蔵「 行佛威儀 」 44 )
大悟なれば
おなじく大悟なり
大迷なれば
おなじく大迷なり
これしばらく
行佛の鞋裏の動指なり
あるときは
一道の
放屁聲なり
放屎香なり
鼻孔あるは得す
耳処身処
行履処あるに
聴取するなり
又、得吾皮肉骨髓
するときあり
さらに行得に
他よりえざるものなり

------------------------------------------------------------------
「 鞋裏の動指なり 」
鞋 [Ai/Kei]←くつ・わらじ
その裏の指の動き
あっ、そうですか
て終わっちゃう言葉です
裏 ←/ 表
是は右から左を見た時
左が裏になってる
そう、この表現は
自分の身体を
その外から見るが如しな
その視点の方向性から
そのような表現が
自然となされてる
そう推測されます
道元禅師の行佛威儀
それは
何かを信仰する信じる
そのような信心とは
真逆に位置するもの哉
と推測されます
身体の内にこもって
独自な生(信心)を営む
あるいは
身体の外に出て
海は広いな大きいなァ!
と感嘆する、いずれでもなく
身体の外に立って
精気にあたりつつ
その精気を
身体へ送るが如く
その精気で
身体の中に線描をなす

行佛威儀はこの
「 鞋裏の動指なり 」
な、方向性をお持ちで
その方向性でなせば
楽しき造形創造行為となり
内にこもってなせば
最悪ないじめな如し
苦行になっちゃう
行佛威儀とは
かなりthrillingな代物
かも、でしょうか
.