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行佛威儀  「 通塞明明 」




正法眼蔵「 行佛威儀 」  25 )


しるべし
生死は佛道の行履なり
生死は佛家の調度なり

使也要使なり
明也明得なり

ゆゑに佛は
この通塞に明明なり
この要使に得得なり

この生死の際に
くらからん
たれかなんぢを
なんぢといはん




Utagawa Hiroshige 1217 1507 700





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この一節を読むに
分けわからん事、こ難しい事
道元禅師はおっしゃってる
そう感じるのは
率直な所でしょうか


一方、表題はと言うと
正法眼蔵「 行佛威儀 」の巻

威儀を正して
シャンとせんとねッ!
て至極Simpleです


では、威儀を正すって
どう言う事だろう?
と言う問いですね



「押し」 と 「引き」
どっちから手をつけるか?
お仕事の進め方の違い哉
でしょうか


スポーツ全般・運動全般
これらを仮に
押しの体育とすると
道元禅師の「威儀」は
引きの体育と言えるかも?
ですね

例えば、畏敬の念
スポーツや運動に
それはゼロとは言わんけど
必須要件ではないよな
一方
「 威儀 」 に於いては
畏敬に似たりな念は
なきゃ成立せんがな
でしょうか

骨格・筋肉・呼吸・血行
これらを駆使して
身体末端の血液を
心臓(中心)へと戻そう!
その基本トーンとしての
畏敬の念に似たりな念

行き着いたもんが
身を引く事で
身体の外周は
新鮮な血液を得る事可となる

指先爪先すべての皮膚
その刷新・新生は
役目を終えた動脈が
自ら身を引くと言う
能動的な 「 Si 」に
かかってる

「  中心へ滅し、 円周より生ず  」 
これは能動的行為なんですか?
ですね









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プロフィール

佐々木正巳

Author:佐々木正巳
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「国際交流のための坐禅会」

(ご希望に合わせ随時開催・参加費無料)

2006 東京国立博物館(上野) にて開催
2006~2015 仙台国際センターにて毎月開催
2022 ~  仙台 国見にて随時開催



かつて馬祖 baso の会 e に参じてとふ
「 如何是仏 nyoga-zebutu 」と
馬祖いはく
「 即心是仏 sokusin-zebutu 」と
法常このことばをききて
言下大悟 gonka-taigo す




法常禅師 Ho-zyo zenzi が
馬祖 baso 禅師の坐禅道場で
静かにお坐りになられてる
傍目にそのお姿は、静止してて
水面静まりけり、死人のように見えます
その死んだ水面に、天地が語りかけます
陽光星辰は一瞬も滞らず、その歌を奏でます

法常禅師はある時
馬祖禅師にご質問なされた
「 仏とは、どのようなものですか 」

馬祖禅師が答えます
「 坐禅においては、心が仏となります 」






宮城県仙台市青葉区国見5-6-18
( 5-6-18 kunimi Aobaku Senndai )


仙台にお越しの折は
気軽にお寄り下さいませ

ご連絡先はコチラでした!
090-7325-5711



師 沼田 勇 先生 



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沢木 興道 老師 ( 曹洞宗 )










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