即心是仏 「 見聞覚知 」
- 2019/03/04
- 07:46
正法眼蔵「 即心是仏 」 10 )
他の壇経を把って改換し
鄙譚を添糅して
聖意を削除し
後徒を惑乱す
豈に言教を成さんや
苦しき哉、吾が宗喪びたり
若し見聞覚知を以て
是を仏性と為さば
浄名は応に
法は見聞覚知を離る
若し見聞覚知を行ぜば
是れ則ち見聞覚知にして
法を求るに非ず
と云ふべからず

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この一節も
南陽慧忠禅師の
「外道」に関する所見です
所見?と言うより
慧忠禅師は
中国(唐)八世紀の方ですが
その時すでにお話しが
ぐちゃぐちゃになってたと
同じ旗(仏教)のもとにいても
基本認識がまったく違う
異なっていたわけです
慧忠禅師や
道元禅師の立ち位置は
ありのままの感覚(見聞覚知)は
そのままでは
記憶→ ←愛着・憎悪の
挟み撃ちにあって
ぐちゃぐちゃになっちゃう
意思を駆使して整理しなくちゃ
ですね
.