即心是仏 「 一の神性 」
- 2019/03/04
- 06:29
正法眼蔵「 即心是仏 」 9 )
師曰く
若し然らば彼の
先尼外道と差別有ること無し
彼が云く
我が此の身中に
一の神性有り
此の性能く痛癢を知り
身の壊する時
神は則ち出で去る
舎の焼かれて
舎主出で去るが如し
舎は即ち無常なり
舎主は常なりと
此の如きを審するに
邪正辨うること莫し
孰れか是と為や
吾れそのかみ遊方せしに
多く此の色を見る
近ごろ尤も盛んなり
三五百衆を聚却めて
目に雲漢を視て云く
是れ南方の宗旨なりと

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この一節では
南陽慧忠禅師が
「外道」に関する所見を
述べられてます
ところで
坐禅しよか!威儀を正そうか!
外にはありそォだけど
内にはない!「一の神性」
ないから、自ら内に描こォ!
な訳ですが
この5Gの現代に役に立つん?
と言う疑問です
身体の上下・左右・前後
三本垂直交差な聖十字
この三次元聖十字が
息を吐く時、求心的
息を吸う時、遠心的
共に「加速度的」に働く
このトレーニングは
ますます激変激動な時代には
必須能力じゃないかな? です
今は電話もしない
ラインとメールで事足りる
な方向ですが、それって
会う事も、話す事も減るわけで
すると
直接会った時の「受け答え」が
ますます重要になって来る
かな?と
問題は、
理解を超えた言説に対する
リアクションです
呼気に於いて
求心的十字を描くとは
「頭」においては
真下へのベクトルかかる事に

キャッチボールでは
理解同意以前に来たボールを
100%受け止める事が
大事?と言うより
話し手の方からは
それが良く見えるのでは?
ですね
.