身心学道 「 一 塵 」
- 2019/02/22
- 07:07
正法眼蔵「 身心学道 」 23 )
人体は四大五蘊なり
大塵ともに凡夫の
究尽するところにあらず
聖者の参究するところなり
又、一塵に
十方を諦観すべし
十方は一塵に
嚢括するにあらず
あるいは
一塵に堂仏殿を建立し
あるいは堂仏殿に
尽界を建立せり
これより建立せり
建立これよりなれり

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春は若々新緑さん
お元気一杯青葉になられて
なんて言うてたら
静か秋が来られて色づき哉
なんて思うてたら
もう枯れ行く冬の日暮れcan
一塵(からだ)は
自然の一部けん
千鶴さん万亀さんも
いつの日か
枯れ行く事は、致し方なし
でぎゃんしょか
自然自他ともに
そぉなっちょる
いずれ我も
散り散り消散は必定哉
ですね
この有限なる
一塵(からだ)をもって
「 堂仏殿を建立しよォ! 」
これが道元禅師の
粋なとこ、でぎゃんすね
原発もそうやし
あの高っ!
タワーマンションとかも
寿命解体は、どのよにするんか?
後世の方の腕の見せ所?
寿命解体
想定してたら何もでけへん
コレは↑一理哉
解体必定なればこそ
その一塵(からだ)をもって
堂仏殿、建立しよう!
光の教会ば建立しようか!
コレも↑一理哉ですね
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