身心学道 「 一時開閉 」
- 2019/02/15
- 11:48
正法眼蔵「 身心学道 」 15 )
平常心といふは
此界他界といはず、平常心なり
昔日はこのところより去り
今日はこのところより来たる
去る時は漫天さり
来たる時は盡地来たる
これ平常心なり
平常心この屋裡に開門す
千門万戸
一時開閉なるゆえに平常なり
今この蓋天蓋地は
おぼえざる言葉の如し
噴地の一声のごとし
語等なり、心等なり、法等なり

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「平常心」
この言葉は知ってても
波乱万丈日常では役に立つとは思えんにゃ
でしょうか
「おぼえざる言葉の如し」
「こころ」の事けん自由になるかっちゅうと
無理なんとちゃうん? と
道元禅師が
坐禅しよか!と仰るのは
「こころ」が身体に沿って自己を開示するから
でしょうか?
スヤスヤ就寝中
「こころ」が黙するのは,なじぇ?
て問いも出来ます
「こころ」が身体に沿って自己を開示するなら
就寝中「こころ」は身体を離れてる
星々の世界へ旅しちょるん?
二つの心魂(=二つの時間)
そして精神ちゅうこの三つで構成されし「こころ」
それが意識出来るんは
生前死後は分かりゃんけど
今生では身体っちゅうDisplayあればこそ
でしょうか
この三次元立体Display
如何に造形しよか、ですね
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