身心学道 「 発菩提心 」
- 2019/02/10
- 15:15
正法眼蔵「 身心学道 」 11 )
発菩提心は
あるいは生死にして
これをうることあり
あるいは涅槃にして
これをうることあり
あるいは
生死涅槃のほかにして
これをうることあり
ところをまつにあらざれども
発心のところにさへられざるあり
境発にあらず、智発にあらず
菩提心発なり、発菩提心なり
発菩提心は
有にあらず無にあらず
善にあらず悪にあらず
無記にあらず
報地によりて起するにあらず
天有情はさだめて
うべからざるにあらず
ただまさに時節とともに
発菩提心するなり
依にかかはれざるがゆえに

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時節と共に。
道元禅師の仰る時節とは
「坐禅しよか!」て身を正す
その時でしょうか
病気に伏す時
致し方なしと言えど
寝っ転がってご飯せんし
世界を代表する演奏家が
寝っ転がってバイオリン弾かんし
な道理哉
ではなして
坐禅しよか!と威儀を正すのか
それで何しよとしてんのか?
技量禍福を超えて
はく息すう息祈りの如し
この域へ入るには
尾てい骨を反らし両脇ば
真摯神妙けっぱりゃん事には
暖簾をくぐれんがな
でしょうか
では仮に
はく息すう息祈りの如しと
発菩提心でけたら、どうなるん?
が次の問いです
身体的には呼吸中枢ろっ骨籠が
「個」&「open」なW機能へと激変するやろにゃ
ですね
息はく時「個」を養い
息を吸う時、世界と交わる

自立しつつも孤立せん
これを格言に終わらせず
現実の実感にせしむるに
そぉ、
尾てい骨を反らし
両脇けっぱって威儀を正さんとぉ!
これが発菩提心でんがな!
でしょうか
.