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身心学道 「 牆壁瓦礫 」



正法眼蔵「 身心学道 」  9 )


投機あり
為自為他なり
恁麼なる
すなはち学道なり
学道は恁麼なるがゆえに
牆壁瓦礫これ心なり
さらに三界唯心にあらず
法界唯心にあらず
牆壁瓦礫なり



Utagawa Hiroshige 1201 1832




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周囲に対して
生き生きとした関心を持ってる

つめたく内に籠る独坐
では、する者も見てる方もせつない

道元禅師の「坐禅しよか!」は
ガツんと黙坐やけど
自立自尊やけど、周囲に対して
生き生きとした関心が持てる
そんな温か血行を育む坐禅でしょうか


「目は須らく常に開くべし」
普勧坐禅儀の中の一節です

瞑想は目を閉じてるけど
道元禅師の坐禅しよか!は
普通に目を開けてるんですか?

て、違いがありますが
実際してみると
目を閉じちゃいますね
あるいは、藪にらみになっちゃう

エコノミー症候群
血行が滞るから眠たくなるのか
あるいは何か思い出して
内なる心象と対峙してしまうのか
ですね

「普通に目を開けていられる」
是は昔言葉では極意哉、でしょうか


尾てい骨を反らし
両脇けっぱってガツンと坐る
それで目を閉じ孤立するんやのうて

その勇猛果敢さで
冷たくなりそな血行あっため
温かな関心を持って
周囲へ眼を開く

はいっ、是は人間の理想で
ぎゃんしょか 





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プロフィール

佐々木正巳

Author:佐々木正巳
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「国際交流のための坐禅会」

(ご希望に合わせ随時開催・参加費無料)

2006 東京国立博物館(上野) にて開催
2006~2015 仙台国際センターにて毎月開催
2022 ~  仙台 国見にて随時開催



かつて馬祖 baso の会 e に参じてとふ
「 如何是仏 nyoga-zebutu 」と
馬祖いはく
「 即心是仏 sokusin-zebutu 」と
法常このことばをききて
言下大悟 gonka-taigo す




法常禅師 Ho-zyo zenzi が
馬祖 baso 禅師の坐禅道場で
静かにお坐りになられてる
傍目にそのお姿は、静止してて
水面静まりけり、死人のように見えます
その死んだ水面に、天地が語りかけます
陽光星辰は一瞬も滞らず、その歌を奏でます

法常禅師はある時
馬祖禅師にご質問なされた
「 仏とは、どのようなものですか 」

馬祖禅師が答えます
「 坐禅においては、心が仏となります 」






宮城県仙台市青葉区国見5-6-18
( 5-6-18 kunimi Aobaku Senndai )


仙台にお越しの折は
気軽にお寄り下さいませ

ご連絡先はコチラでした!
090-7325-5711



師 沼田 勇 先生 



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文章を通しての師

Rudolf Steiner 先生
Kōdō Sawaki
沢木 興道 老師 ( 曹洞宗 )










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