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身心学道  「 不染汚 」



正法眼蔵「 身心学道 」  1 )


仏道は、
不道を擬するに不得なり
不学を擬するに転遠なり

南嶽大慧禅師のいはく
修証はなきにあらず
染汚することえじ

仏道を学せざれば
すなはち
外道闡提等の道に墮在す
このゆえに
前仏後仏かならず
仏道を修行するなり






Utagawa Hiroshige 0127 1532




正法眼蔵 第四巻は
「 身心学道 」でした


身と心、生きてる間は
心は身を住みかとしてる
よって、
身と心で学び、行(道)じようォ!

「坐禅しよか!」でした


ギリシャ人は
背中の事を「アポロンの竪琴」
と名付け候でした


身体が楽器になる?
喉で声楽、手にて手拍子
足裏使ってタップなドラム
これ↑くらいしか
思い浮かばんにゃ、ですね

背中が、楽器になるかっ
ちゅうと、そりゃなかでしょう
これが真っ当な判断かと

そぉ、「アポロンの竪琴」は
自ら奏で、一人己のみ聴く事可な
そんな特別楽器なんですね
自分以外は聞く事能わず

コンクールもないし
金賞落選もなか、自ら奏で自ら聴く

世間人様から
評価されんと、なんか寂しいにゃ
是が↑人情
ちゅうもんでしょうか

まっ、
そこんとこ目つぶれば
「アポロンの竪琴」は
チョ便利な楽器でがんしょか

尾てい骨を反り
両脇振りかざせば即
調弦
弦がだらっとしてたら
音を奏でんがな、でしょうか

道元禅師の
「坐禅しよか!」は
「背中を調弦しよか!」
に同義哉、ですね

音源は自分でもよぉ分からん
己の気分でしょうか

この↑精神的実体を
「アポロンの竪琴」へ通す事で
新たな音楽へremakeする


道元禅師は仏者であり
思想家・哲学者のジャンルでも
最重要人物でしょうが
そん本丸は「演奏家」だったと
推測されますね

尾てい骨を反り
両脇振りかざせば
その筋肉体感は「蝶」の如し
その羽根で新たな楽曲奏でよか
ですね





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プロフィール

佐々木正巳

Author:佐々木正巳
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「国際交流のための坐禅会」

(ご希望に合わせ随時開催・参加費無料)

2006 東京国立博物館(上野) にて開催
2006~2015 仙台国際センターにて毎月開催
2022 ~  仙台 国見にて随時開催



かつて馬祖 baso の会 e に参じてとふ
「 如何是仏 nyoga-zebutu 」と
馬祖いはく
「 即心是仏 sokusin-zebutu 」と
法常このことばをききて
言下大悟 gonka-taigo す




法常禅師 Ho-zyo zenzi が
馬祖 baso 禅師の坐禅道場で
静かにお坐りになられてる
傍目にそのお姿は、静止してて
水面静まりけり、死人のように見えます
その死んだ水面に、天地が語りかけます
陽光星辰は一瞬も滞らず、その歌を奏でます

法常禅師はある時
馬祖禅師にご質問なされた
「 仏とは、どのようなものですか 」

馬祖禅師が答えます
「 坐禅においては、心が仏となります 」






宮城県仙台市青葉区国見5-6-18
( 5-6-18 kunimi Aobaku Senndai )


仙台にお越しの折は
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ご連絡先はコチラでした!
090-7325-5711



師 沼田 勇 先生 



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