仏性 「 再 来 」
- 2019/01/29
- 08:49
五祖 大満禅師は
蘄州黄梅の人なり
父無くして生まれ
童児にして道を得たり
乃ち栽松道者なり
初め蘄州の西山に在りて
松を栽えしに、四祖の出遊に遇ふ
道者に告ぐ
吾れ汝に伝法せんと欲ふに
汝 已に年 邁ぎたり
若し汝 再来せば吾れ尚汝を遅つべし
師、諾す
遂に周氏家の女に往きて托生す
因みに濁港の中にすつ
神物護持して、七日損ぜず
因みに収りて養へり
七歳に至るまで童子たり
黄梅路上に於て
四祖 大医禅師に逢ふ
祖、師を見るに、
是れ小児なりと雖も骨相奇秀
常の童に異なる
祖見て問うて曰く、汝 何なる姓ぞ
師答へて曰く
姓は即ち有り、是れ常の姓にあらず
祖曰く、是れ何なる姓ぞ
師答へて曰く、是れ仏性
祖曰く、汝に仏性無し
師答へて曰く
仏性空なる故に、所以に無と言ふ
祖、
其の法器なるを識りて
侍者たらしむ、後に
正法眼蔵を付す
黄梅の東山に居して
大いに玄風を振ふ

正法眼蔵「 仏 性 」 32 )
「坐禅しよか!」
これは↑威儀を正そか!
それと同義哉、ですね
威儀を正す事って
どんな意味があるんですか?
これは道元禅師に問う価値あり
でしょうか
思考や意志や感情
この精神的な実体が
自分の受胎以前からあったのか?
それとも受胎の瞬間に
なんの脈略もなく
突如として世界に現れたのか
死んだ後も
心魂は継続するん?
この不死の問題は取り上げられても
思考や意志や感情
この精神的な実体が
自分の受胎以前からあったんか?
この「不生」の問題
それが熟考されし事は
あまりないかも、ですね
受胎誕生の時
生まれたわけじゃない
と言う意味で「不生」哉と
不生=霊魂先住 の意哉と
この不生なる
一個の生命体みたいな
精神的実体(思考,意志,感情)
これが音のよなものとして
保存されてる としたら
.mp3 .wave .aif
保存形式は↑こんな感じィ
でしょうか
じゃ、その不生の生は
過去向きにドコまで伸びてるん?
て疑問も出ますが
まっ様々経験経て来たん哉ですね
それらすべてを音・音源として
担ってる としたら? て仮説です
当然、ええ事のみやのうて
慙愧の念、深い後悔の念
なんであんな事したんやろ
音の宝箱は単純じゃないだろにゃ
ですね
「坐禅しよか!」
これは↑威儀を正そか!
でしょうか
尾てい骨を反らし
両脇を同時振りかぶって
背中をしゃんとする
ここに↑不生担いし
自己の音楽、精神実体を通す
担い続けてる音楽を
音源として新たな楽器に通す
ざっと考えてもノイズは
消えるきゃも、ですね
悲しい楽曲が
それを乗り越え新たな地平開く
あらたな楽曲にRemakeされるかも
ですね
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