摩訶般若波羅蜜 「 常に遠離せず 」
- 2018/12/26
- 15:30

尸、若し
善男子善女人等
是の如くの
をなさば
甚深般若波羅蜜多
守護すべし
若し善男子善女人等
所の如くなさば
甚深般若波羅蜜多
常に遠離せず
まさに知るべし
一切人非人等
其の便を伺求して
損害を爲さんと欲んに
終に得ること能はじ
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正法眼蔵「摩訶般若波羅蜜」 10 )
甚深般若波羅蜜多をなさば
甚深般若波羅蜜多が
あなたを守って下さる
なんのこっですか?ですね
道元禅師がおられる13世紀
すでに仏教伝来から
幾百年も経ってる
世の俊英達が寄ってたかって
人生かけて研究なさるけん
そりゃ仏道やのうて
緻密な仏教学になってもうた
ちゃうちゃう
そんな話し
してるんやのうて
甚深般若波羅蜜多も
観自在も敬礼も空の如しも
坐禅ちゅ
身体スキームに付随する
生きた理念なんや
さぁ、坐禅しよか!
是が道元禅師の論旨ですね
お寺行かんでも
静かに坐禅の形するんは
さすがに会社では無理ですが
お家でなら工夫次第で
何とかなっかも、ですね
腰を立て威儀を正し
手腕脇で円相をなす
これも↑なれるには時間いるんで
PCしながら
テレビ見ながらでも
形に親しむのは
エエこっでしょうか
なんせ
この身体スキームが
それを為す方を守護する
守って下さるって事ですから
神仏ですら
この形をなすもんは守護せんと
メーカー保証外って
どぉ言うこぉ?てなりますが
その形自体が保証けん
そん形するもんへは
如何人といえど
損害を与える事がでけん
損害を与える事
出来るわけにゃーと
なしてか?
坐禅人がなした敬礼畏敬は
一切は「空の如し」ゆえ
受取人不在で御本人へ帰って来る
しっかし
その行きの「敬礼畏敬」と
帰りの「敬礼畏敬」は
変容を遂げちょる
どのよに
変容して帰ってくっか
天球蒼穹の全方位へと
放射されし「敬礼畏敬」は
受取人を探して
蒼穹天球のはしはしまで
一瞬で旅する巡る
途中受取人がおれば
そぉはならんでしょうが
如何せん「空の如し」なんで
受取人は何処にもおらん
結果、端々まで行って
そしてお戻りなさるけど
この坐禅人が
発した敬礼畏敬はその道中
天球が天球己自身を照らす
その光・正法眼蔵に
身をさらす事になろうかと
そぉ
天球の正法眼蔵を経験なさる
天球森羅万象が
天球森羅万象自身を観自在する
天球も己自身を観てる
この光を受けた経験を携え
坐禅人が発した敬礼畏敬は
坐禅人へと帰って来る
一個人の観自在の光に
森羅万象偏在の観自在の光
正法眼蔵が助っ人なさる
そりゃ負けるわけない
て、方程式ですね
とは言え皆々みんな
自分で自分を観てる
そりゃ当然でしょ!て問いは
当然正当ですね
そぉ、
それでも道元禅師が
さぁ、坐禅しよか!て
連呼するのは
一個人の観自在力は弱いけん
森羅万象も森羅万象自身の
内面を照らす光を駆使してる
そん大本、正法眼蔵と提携
パートナーシップば結んで
共に力強ォ!豊かになろうォ!
て、
やさしきお心から
述べておられる
そんな感じが致しますね
.